「フルベッキ写真」もしくは「フルベッキ群像写真」と呼ばれる幕末明治に関わるとされている写真があります。
そこには勝海舟、西郷隆盛、坂本龍馬、高杉晋作といった幕末の有名人物たちが、敵味方問わず全員集合して写っているとされるものです。
しかし調べたところ、そのような俗説は嘘である可能性が高いようです。
この写真について調べてまとめました。
フルベッキ写真は嘘?西郷隆盛・明治天皇ら幕末の重要人物が集合という俗説
フルベッキ群像写真【カラー】
こちらがそのフルベッキ写真のカラー化されたものです。
フルベッキ写真に写っているとされる人物たち
そしてそれぞれ、次のような人物だといわれています。
左端に勝海舟、そのすぐそばに大村益次郎、中央下部に明治天皇、その3つ右に坂本龍馬、その上に高杉晋作、中央上部には薩摩藩の大久保や西郷といった人物が写っているとされています。
そしてこの写真で幕臣の勝海舟と討幕側の志士らが一緒に写っていることから、フルベッキ写真は「幕末は壮大なやらせ・八百長だった」という幕末陰謀論に利用されることが多いようです。
さらに陰謀論で活用されるこのフルベッキ写真に関する噂は、毎度鎮火されるものの定期的に復活し、当初、22人の名前がつけられていましたが、噂が復活するたびに人物に新たな名前がつけられ、ついには現在のように44人全員の名前がつけられるに至ったといいます。
新選組は写っている?
またGoogleのキーワードを見る限り、フルベッキ群像写真に新選組が映っているのかと興味を抱いている方もいるようです。
しかし近藤勇、土方歳三、沖田総司といった者の名前は見えません(もちろんそれ以外の者は全員写っているということでもないでしょうが)。
フルベッキ写真の正体とは?
まずフルベッキ写真の「フルベッキ」(写真中央)とは何者かといえば、オランダ出身でアメリカに移民、その後、日本にキリスト教オランダ改革派宣教師として派遣された法学者・神学者でもあった人物だといいます。
フルベッキはその長崎時代にはまだキリシタン禁制の高札があった影響で、英語の個人授業で生計を立てており、大隈重信と副島種臣はフルベッキの英語の個人授業を受けたこともあります。
さらに幕府の英学所「済美館」、英学を学ぶために佐賀藩が設置した致遠館で教鞭をとったことがあります。
フルベッキは長崎、東京などで暮らし、1878年7月には一時アメリカに帰国したものの再度来日、神学や聖書の翻訳などを行い、1898年(明治31年)に死没するまで日本で暮らしました。
そしていったいフルベッキ群像写真とは何なのでしょうか?
その正体については諸説ありますが、俗説の「幕末の志士・幕府側の人間が一堂に会している」というのは嘘・デマであるようです。
写真コレクター・古写真研究家の石黒敬章氏は、自著『こんな写真があったのか』で、「フルベッキの後ろに写るごつい顔の男が西郷ではないことは確かで、西郷の写真はない」としています。
たしかに当時、「写真を撮ると魂を抜かれる」という俗説があった影響か、西郷隆盛は写真を撮ることを嫌っていたと言います。この「西郷の写真嫌い」は有名で、上野の銅像ですら妻は「似ていない」と言ったという話もあります。
そして最新技術を用いて幕末・明治期の古い写真を歴史資料として活用する研究をしている、倉持基氏(Twitter)は、フルベッキ写真について、『上野彦馬歴史写真集成』の「フルベッキと塾生たち写真の一考察」の中で、「明治元年(1868年)頃、フルベッキが佐賀藩の藩校「致遠館」の学生らとともに撮った可能性が高い」としているようです。
大隈重信・岩倉具定・岩倉具経が写っているのは事実か
ただし幕末明治関連の人物が一人も写っていないということはありません。
(長崎の)佐賀藩出身の大隈重信、岩倉具視の次男と三男である岩倉具定・岩倉具経らは本当に写されている可能性が高いようです。
近年ではさらに各々の致遠館の学生の名前も判明してきており、明治期に活躍した教育者の「折田彦市」、蘭方医(オランダ医学者)の「相良知安」、電信開通などに功のあった「石丸安世」、佐賀の乱の首謀者である「山中一郎」など、誰もが知るというわけではないものの、かなりの重要人物が映されていることも近年では明らかになりつつあるといいます。(Wikipedia-フルベッキ群像写真「写真の実体」)
フルベッキ写真はもともと中丸薫の所有
※以下追記。
女性国際政治学者の中丸薫さんの著書(『天皇生前退位と神国・日本の秘密』)を読んでいると、興味深い事実が記されていました。
何と有名な「フルベッキ写真」は、中丸氏の所有のものだったというのです。
著書に記されている経緯は次の通りです。
桜の季節に新聞社の人と吉野を訪れ後醍醐天皇の墓参りをした中丸氏は、翌日の大阪の講演で、ある人に「先生に差し上げたいものがある」と言われます。
そこでもとはフルベッキの孫が持っていた例の写真を、その人から「自分が持っていてもしょうがないから」と渡されたということです。
「フルベッキ写真」のwikiでは「写真を陶製製品に印刷して売られていた」という話も出ていますが、中丸氏が写真を借りたいという人に貸したところ、勝手にあちこちに広めてしまい、しまいには陶製製品にして売る人も出てきた、というお話です。
ただ中丸氏はこれを単なる「フルベッキと致遠館の学生との集合写真」とは思っておらず、実際にフルベッキと(陰謀論では後に明治天皇になったとされる)大室寅之祐(おおむろとらのすけ)の2名が写っている写真と考えているようです。
そのため中丸氏の著書では、他の志士とされている人物たちについては言及していないものの、俗説通り該当の二者に矢印を当てて、「フルベッキ」と「大室寅之佑」と記して写真を紹介しています。(『天皇生前退位と神国・日本の秘密』Amazon)
この記事は以上になります。