ここでは菜食の重要性について、とりわけ、私自身が菜食の重要性に気づく上で説得力を感じた主張や証拠を提示しようと思います。
同時に、ヴィーガンの人にありがちな「菜食は正しい!肉を食う人は悪だ!」と主張する菜食原理主義もあまり感心できないということを書いておこうと思います。
最初に簡単に説明しておくと、この記事では、
- アレックス・コリアー(宇宙人コンタクター)の菜食についての主張
- 海野いるか(コブラレジスタンスの専門家)の著書での菜食についての説明
- ラマナ・マハルシ(インドの覚者)が例外的に認めた伝統的食養生について
- ニサルガダッタ・マハラジ(インドの覚者)の菜食をめぐる発言
などを扱います。
菜食の重要性について|宇宙人コンタクターや覚者の菜食観
アレックス・コリアー「肉食は体の波長を下げる」
アンドロメダ人との接触者であるアレックス・コリアーは、アンドロメダ人から教えられた知識として、われわれの常識とは乖離した非常に興味深いことを語っています。
その中でもとりわけ興味深いことの一つが菜食と肉食についての彼の主張です。(上の動画中9分ごろ)まとめると、
- 肉食をすると体の波長が下がる。
- 波長が上がるとスピリチュアル的には進化していることになる。
- そうなると悪しき宇宙人であるアルファ・ドラコニアン(レプティリアン)にとっては都合が悪いので、肉食をするように宗教などを通じて太古の時代から人類に教えた。
といったことです。
一方で「菜食は絶対的な必要条件ではない」とも
一方でアレックス・コリアーは、インタビュアーの、「では菜食することで現在の地球の悪しき状況打開の道が開けるのか?」という質問に対し、
その助けにはなるが、すべての人が肉を食べるのをやめる必要はない。それは絶対必要条件とまではいえない。宗教的な理由から肉食せざるえない人もいるだろう。一番重要なのは、物事を『スピリット(魂)』の視点から見ることだ。
といった意味のことを述べています。
一言でいえば、「菜食はベターだがマストではない」ということです。(菜食した方がいいが、それが絶対に必要とまでは言えない、ということ)
あるいは、「菜食は人間にとって(絶対的ではなく)相対的に正しい」と言ってもいいでしょう。
そしてまた菜食が重要である理由とは、肉食をやめ菜食に切り替えることで、体の波長(振動数)が上がり、スピリチュアル的・霊的に向上できるからだ、ということになります。
というわけで、私が菜食の正しさについて啓発されたのはこのアレックス・コリアーの発言が最初です。
肉食はアストラル体(感情体)を汚染する?
次に出会ったのは、コブラレジスタンスの日本における専門家の一人である海野いるか氏の著書『地球をめぐる銀河戦争の終結』での菜食と肉食に関する説明です。
こちらも非常に説得力があります。
彼は「肉食がなぜ身体の波長を下げるのか」という疑問に対して、もう少し具体的に、それは普通の人間の目に見えないアストラル界(感情界)やアストラル体(感情体)を汚染するためだ、と説明しています。
まず「植物も肉も同じ生き物だから同じだ」という主張が間違っている理由として、植物には動物にあるようなアストラル体(感情体)はないのでその点で異なるとしています。
そして肉には、動物が殺された時のネガティブな感情が残っており、それを摂取することで人間自身のアストラル体が汚染され、アストラル体の波長が低下するのだ、と説明しています。
クジラやイルカを食べるのはもっとも悪影響?アストラル体汚染の影響力が強い順番
さらに興味深いことに、海野氏によればすべての肉(や魚)が一律に同じくらい悪い影響を与えるわけではないとして、悪影響が強い順にこのように挙げています。
- クジラ
- イルカ
- 牛
- 豚
- 鳥
- 大型魚
- 小魚やその他の魚介類
一説には、イルカやクジラは良き宇宙人(ポジティブな宇宙人:たしかシリウス人)と深い関わりがあると聞いたこともあります。
私は以前から、欧米人がしきりにクジラやイルカを積極的に保護しようとするのを不思議に思ってきましたが、こうした話を聞くと今までの疑問と合致して妙に説得力を感じました。
多くの地球人がプレアデスやシリウスから転生してきているという話も聞くので、これらの話を総合すると、もしかしたら彼らは直観的にこのような事情を理解し、クジラやイルカを「同族」と感じているのかもしれません。
人間の唾液は草食動物と同じアルカリ性である
これも同じく海野いるか氏の著書での説明ですが、そのようなスピリチュアルで科学的に実証しづらい説明が苦手な人には、また別の角度からの説明もあります。
それは非常に単純な原理なのですが、通常、肉食の動物は唾液が酸性ですが、草食や果食(フルーツ食)の動物は唾液がアルカリ性であり、そして人間の唾液は他の草食動物たちと同じアルカリ性だから、というものです。(自分でも調べたところ、厳密にいえば「ややアルカリ性」だそうです)
だから人間は菜食やフルーツ食が自然にかなうのだ、という主張です。
これもシンプルですが非常に説得力を感じます。
ラマナ・マハルシが修行の助けになると唯一認めたのが食養法
またインドの覚者ラマナ・マハルシは、自分の修行の進展が思わしくない原因を外的な環境に求める人や、霊的な達成を求めて家庭を捨てるべきか質問する人に、必ずといっていいほど「その必要はない。今の環境のままで修行(霊的な実践を)することはできる」と諭しました。
つまり、外的な環境が霊的な実践の成果を大きく左右するという通念を常に否定してきた人でした。
彼は、必要なのは「私は誰か」と問うてマインドの注意力を自分自身に向ける「真我探求」がもっとも霊的な達成のための近道で、ヨーガですら遠回りになるだけだとして積極的に推奨することはありませんでした。
そんな彼が唯一修行の助けになると認めたのが、ヒンドゥーの伝統的な食養法でした。
これは厳密にはタマネギなどの野菜もあまり好ましくないとされるので、菜食という範囲から逸脱してはいますが、内容はかなり似通っているので取り上げたいと思います。(以下、引用)
彼が唯一認めた物理的変化は食習慣についてだった。彼は食事のタイプが人の想念の量と質に影響を与えるという、ヒンドゥー教徒の間に広く行きわたった食養生についての理論を受け入れてきた。そして適度な菜食主義の食事をすることが、霊的な修練にとって最も有益な助けになるとして勧めてきた。
シュリー・ラマナが認めたヒンドゥー教の食養生の理論は、それらを食べることで引き起こされる精神状態にしたがって食べ物を分類している。
- サットヴァ(純質)乳製品、フルーツ、野菜、穀物がサートヴィックな食べ物とされる。これらの食品から成る食事は、霊的修行者が静かな心を保つ助けになる。
- ラジャス(激質)ラジャシックな食べ物は、肉、魚、唐辛子、タマネギ、ニンニクのような香辛料の効いた食事を含む。これらの食べ物を食べることは活動的な心をもたらす。
- タマス(暗質)腐りかけたあるいは新鮮でない食べ物、アルコールなどのような発酵過程を経る食製品はタマシックな食事とされる。これらの食べ物を食べると、解決力をもつ明晰な思考を妨げ、無関心で鈍感な心の状態をもたらす。
引用:『あるがままに ラマナ・マハルシの教え』(第12章 世界の中で生きる)
菜食原理主義は慎むべし
ところで、私が非常に残念に思うのは、このような情報を知って菜食にシフトするようになった人の中には、「菜食原理主義者」になる人がいるということです。
簡単にいえば、ヒステリックに「肉を食べるのは今すぐやめて下さい!それは悪い宇宙人の策略に乗ることを意味します!」と叫んだり、「肉を食べる人は悪だ!」と肉食する人をまるで犯罪者でもあるかのように糾弾する人が生まれるということです。
私はこれを非常に残念に思います。
直近に迫っていると噂されるアセンション(次元上昇)について勉強すると、それは地球が愛や調和の世界に移行するということを意味しているそうです。
そして菜食にチャレンジする「意識の高い人」も、おそらくそうしたことを念頭に置いている人もいるのでしょうが、しかしヒステリックに肉食や肉食する人を糾弾することのどこに「愛と調和」があるというのでしょうか?
そういう人は、アレックス・コリアーが「菜食はベターだがマストではない」という意味のことを言っていたのを思い出していただきたいと思います。
アレックス・コリアーとニサルガダッタ・マハラジの菜食観の一致
ただし、こうしてそのような「肉食を強く非難する人を強く非難する」ならば、私もまたその同じ轍を踏むことになるのでしょう。
だから私自身からのそうした批判はほどほどにして、代わりに菜食原理主義への戒めとして、インドの有名な覚者「ニサルガダッタ・マハラジ」の著書の中から肉食・菜食に関する彼の発言をご紹介したいと思います。
私がこれをご紹介するのは、一つはそれが覚者で真我実現を達成した人の菜食をめぐる発言として興味深いという理由からです。
しかしもう一つの理由として、このニサルガダッタ・マハラジの菜食(非肉食)をめぐる言葉は、宇宙人コンタクターであるアレックス・コリアーの菜食をめぐる発言と非常にニュアンスが似通っているという点が挙げられます。
覚者ニサルガダッタ・マハラジと肉食否定論者の対話
ニサルガダッタ・マハラジと質問者の対話集である『I AM THAT 私は在る』には、彼が菜食主義者の質問者に激しく詰め寄られる興味深い問答が収録されています。(『36殺すことは、殺されたものではなく、殺した人を傷つける』参照)
質問者は、ジニャーニ(知識者)が瞑想中に動物の皮の座るということに納得がいかず、動物を殺すことを率先して非難しないニサルガダッタ・マハラジを、「慣習と伝統によってすべてを正当化している」と攻撃します。
それに対しマハラジは「動物の視点から見れば、殺されることは最悪の死の形態ではない。病死や老衰よりはむしろ願わしいものなのだ。残酷さは事実のなかにではなく、動機のなかにある」と言って抗弁します。
しかし質問者はそれでも納得がいきません。
質問者がなおも興奮しながら「あなたは自分が身体ではないという主張の中に逃げ込んでいる!」と批判すると、このように言ってマハラジは質問者をなだめます。
落ち着きなさい。私もまた肉や毛皮のために動物を殺すことには反対なのだ。だが、私はそれを最重要と見なしていない。菜食主義は価値ある大義だが、もっとも緊急のものではない。すべての大義名分は、源に帰り着いた人に仕えたとき、最上のものとなるのだ。
『I AM THAT 私は在る』
どうでしょうか。アレックス・コリアーとは異なる言い回しで、非常に似たことを言っているにお気づきでしょうか。
特に「私もまた肉や毛皮のために動物を殺すことには反対なのだ。(中略)だが、もっとも緊急のものではない」というのは、「菜食(=非肉食)は重要だが最重要ではない」という点でアレックス・コリアーとまったく同一の主張に見えます。
最後の「すべての大義名分は、源に帰り着いた人に仕えたとき、最上のものとなるのだ」は、意訳すれば「そのようなことは、あなた自身が真我を実現した後に主張すべきだ(そちらの方こそ真に喫緊の課題だ)」とでも言い換えられるでしょう。
この覚者と宇宙人コンタクターの菜食観の共通性は、非常に興味深いものだと思います。
菜食の実体験から
最後に、自分自身の実践から幾つか考えたポイントを手短に書いておきます。
私自身も菜食(というより非肉食)にシフトして数か月が経過しています。
何でもそうですが、3か月というのが目安になると思います。
私も3か月で心理的に変化が訪れました。(気が向いたらこれについても書きます)
それで問題のすべてが解決するというわけではないですが、実践する方は3か月を目安に実践してみると良いと思います。
また菜食(非肉食)は禁煙のようなものとはまったく異なるということも注意しておいてください。
禁煙はそれまで数カ月や数年間、継続しても1本吸ったら振り出しに戻ってしまいます。
しかし、菜食・非肉食は、仮に1食我慢できずに肉食したとしても、今までの継続がすべて台無しになるわけではありません。
だからどうしてもダメだと思ったり、社交上の必要に迫られて一度二度食べたところで、それまでに積み上げたものが無駄になるわけではないので、興味のある方は気楽にチャレンジしてみてください。
ただ今までほとんど自炊せずに、コンビニ弁当・カップラーメンなどで食事を済ませる習慣のあった方は、菜食(非肉食)の実践を始めるとかなり面食らうと思います。
たぶんそういう人は、(私もそうだったように)「こんなにも肉や魚が料理に使われていたのか。それ抜きでコンビニなどの食事を選ぶとこんなにも選択肢が狭まるのか」と思うことでしょう。
また厳密にいえば成分表に肉・魚由来の成分(油など)が使われている時点であまり良くないかもしれません。
もちろん、出来るならばそれらも食事から排除するのが望ましいでしょうが、細かいことを拘りだすとキリがないので、最初は「とりあえず肉・魚は食べない」という原則だけ守って実践すればいいと思います。(私もそこまでは拘っていません)
(記事おわり)