ラマナ・マハルシやその他のスピリチュアルの教えに触れると、そこには「個人的行為者はいない」という言説が登場します。
このことは特にニサルガダッタ・マハラジの弟子であるラメッシ・バルセカールが分かりやすく説いていることです。
ついさっき気づいて「そうか!」と思ったのですが、これは仏教で説く「無我」とまったく同じことを言っているのです。(Wikipediaー無我)
気付いた時に膝を打つように驚きを覚えたので書くことにしました。
気付いている人はとっくに気づいていたでしょうが。
表現が変わると印象がまったく異なるので、同一であることに気づくのに私はだいぶ時間がかかってしまいました。
ただそれだけの記事です。
(記事おわり)