陰謀論界隈でよく聞く名の一つに、「デイヴィッド・ロックフェラー」の名があります。
アメリカの政治思想に造詣の深い副島隆彦氏をはじめ、彼を「世界皇帝」と呼ぶ人も多かったことから、御存知の方もおられるでしょう。
しかしこのデイヴィッド・ロックフェラーは2011年に既に失脚、2017年には死去しています。
この記事ではその「世界皇帝」デイヴィッド・ロックフェラーの失脚が如何にして起こったか、それが起こったとされる2011年モナコでの57カ国会議を中心に、情報をまとめてみました。
デイヴィッド・ロックフェラーの失脚 モナコでの57カ国会議とは
デイヴィッド・ロックフェラーによる陰謀
世界の名だたる要人にインタビュー経験があり、様々な人脈をもっている中丸薫氏の著書には、北朝鮮と米国の関係改善について言及する中で、デイヴィッド・ロックフェラーにまつわる次のような記述があります。
今までは、日本と北朝鮮の間にくさびを打ってきた、デイヴィッド・ロックフェラーのような闇の権力の頭領がいました。
CIAを使って日本人拉致をやり、北朝鮮がさも悪辣な国家であるという洗脳を繰り返してきました。(引用者注:中丸氏は北朝鮮を、主体思想などによって、闇の権力の影響下にない実質的な「唯一の独立国」ととらえるほど高い評価をしています)
ところが、このデイヴィッド・ロックフェラーはサブプライムローンの破綻により、彼の傘下のリーマンブラザーズが倒産したことで、栄光は地に落ちてしまいました。
その損失を補うために3・11の大地震を仕掛け、日本再占領を謀ったもののこれも失敗に終わり、決定的なダメージを受けてしまいました。
その後、ジェイコブ・ロスチャイルドが呼びかけ、スイス政府が主催して2011年8月末にモナコで開かれた「57カ国会議」で、デイヴィッド・ロックフェラーは糾弾されました。
「命を差し出すか、全財産を差し出すか」と迫られ、ノースカロライナの油田をまるごと差し出すからと言って、命乞いをしました。
このことによってデイヴィッド・ロックフェラーは完全に失脚しました。
2014年に99歳になったこの権力者は、今ではインドのどこかのシェルターにかくまわれているという情報もあります。
引用:中丸薫『『地球』丸ごと奪われた『未来』を取り戻せ』
このように中丸氏は著書の中で、2011年8月末のモナコの57カ国会議でデイヴィッド・ロックフェラーの失脚が決定づけられた、としています。
2011年8月31日のモナコでの57カ国会議の模様とは
では2011年8月31日のモナコでの57カ国会議とはどのようなものだったのでしょうか。
当時、2008年のリーマンショックの余波が欧州に押し寄せ、2009年ごろ発覚したギリシャ危機を経て、ドル危機を上回るユーロ危機が叫ばれるようになりました。
このような背景をもとに、世界57ヶ国の代表がモナコ公国に非公式に集まり、国際金融会議が開催されます。
参加者
この57カ国会議は招待者のみのもので、招待されなかった者が参加希望をしてもことごとく拒否されたとしています。
関係ブログには、この会議に参加した者として次のような者が挙げられています。
- イギリス王室
- ロシア代表
- インド代表
- 中国代表
- オランダ代表
- 中南米の諸代表
非参加者:菅直人総理は参加希望も拒否された?
またこの会議では、G7諸国並びにIMF、世銀関係者は出席を拒否されたといいます。
関係ブログには会議への参加を拒否された者として次のような者が挙げられています。
- イギリス代表(王室ではない)
- フランス代表
- ドイツ代表
- イタリア代表
- 米連銀(サバタイ派)代表
- 日本代表
また、当時の日本の総理大臣だった菅直人、IMF専務理事のクリスティーヌ・ラガルドらも参加希望も拒否されたとのこと。
さらにこの会議ではデイヴィッド・ロックフェラーが糾弾されたということですが、彼自身はそもそもこの会議自体には呼ばれておらず、参加していなかったということです。
つまり通説通り、ここでデイヴィッド・ロックフェラーの弾劾が行われたのだとすれば、一種の「欠席裁判」のようなものが行われたと見て取れます。
ジェイ・ロックフェラーも門前払い?
この会議ではデイヴィッド・ロックフェラーの失脚が決定づけられたとしていますが、この会議には、ジェイ・ロックフェラー(ジョン・ロックフェラー4世、デイヴィッド・ロックフェラーの甥で現在はロックフェラー家の家長)も門前払いを食わされたというネット情報もあります。
詳しい状況を説明しているブログには、その状況は次のようだったといいます。
出席を要求したジェイ・ロックフェラーは、事前に「会議に来ないように」と告げられましたが、無断で会場まで押しかけます。
その場でも断られると、「私が誰か知っているのか?」と主催者側に言いました。
しかし主催者側は「知っています。あなたは誰でもありません」と言います。
ジェイ・ロックフェラーは怒鳴り声を上げて怒り狂いましたが、主催者側は平然として「古い世界秩序は終わり、新しい世界秩序が始まろうとしている」と言います。
さらに「若い世代のための新しい世界で、あなたのようなミイラはチリとなって消え去れ」と告げたといいます。
それでも興奮の収まらないジェイは、彼のセキュリティとともに戻ってきて、無理やり会議に参加しようとしますが、主催者側のセキュリティに逆に追い出されてしまいます。
しかしこのようなジェイ・ロックフェラーの行動が影響し、会議は延期され海の船上へと会場が変更されました。
ところが、船が国際水域上に移動したところ、ジェイ・ロックフェラーを乗せた2機のヘリコプターが突然現れて会議の妨害をしようとします。
数分後、そこに現れたのは軍用機で、2機のヘリコプターに対して尾翼を数回下げ、攻撃の意図を示して威嚇したところ、ようやくジェイ・ロックフェラーを乗せた2機のヘリコプターは、諦めてそこから去って行ったということです。
ジェイ・ロックフェラーが門前払いを食わされた理由として、関係ブログでは、ジェイ・ロックフェラーがオーナーである「ゴールドマン・サックス」がギリシャ危機の種を播いておいて、クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)で大きな利益を上げた、ということが挙げられています。
つまりジェイ・ロックフェラーがヨーロッパを危機に陥れて大儲けをしたことで、ヨーロッパを根拠地とするロスチャイルドの逆鱗に触れたということです。
会議後
公的な情報としては、この会議終了直後の9月6日、スイス国立銀行は、ユーロに対して高止まりしていたスイスフランに対して、「無制限に為替介入をして、スイスフラン安に誘導する」ことを発表しました。
これは意図的にユーロ高を演出するということで、いわば「ユーロの買い支え」のような意味を持ちます。
また、いわゆる「デイヴィッド・ロックフェラーの失脚」についてですが、中丸薫氏は「失脚後、インドのシェルターに匿われている」と、失脚した後にデイヴィッド・ロックフェラーがインドのシェルターに逃避したように取れることを記述していました。
しかしネットの関係ブログではその逆に、既にインドのシェルターに家族とともに隠れていたところを、「57カ国」の監視機関から発見され、「命を選ぶか、財産を選ぶか」と二者択一を迫られた、としています。
こうしてデイヴィッド・ロックフェラーは失脚したとされています。
また「未確認情報」と断られつつも、一説には会議後に800人が拘束され、ジェイ・ロックフェラーも拘束されたという情報もありました。(そこから現在までということではないかもしれませんが)
デイヴィッド・ロックフェラーの死
そして失脚後、デイヴィッド・ロックフェラーは101歳で永眠しています。
「AFPBB News」では2017年3月21日、デイヴィッド・ロックフェラーの死について、次のような記事で伝えています。
米銀行チェース・マンハッタン(Chase Manhattan)元会長で、政界や慈善活動分野でも大きな影響力を持ったデービッド・ロックフェラー(David Rockefeller)氏が20日、死去した。101歳。広報担当者が明らかにした。
同担当者によると、ニューヨーク(New York)北郊ポカンティコヒルズ(Pocantico Hills)の自宅で睡眠中、うっ血性心不全により亡くなった。
失脚から数えて5,6年後ということですが、「失意のあまり」というよりかは、高齢であることを考えれば、けして早すぎるということもないように思えます。
この記事は以上になります。