このブログで再三述べているように、陰謀論の究極の形態とはスピリチュアリズムであり、その最終目標はアセンションです。
この記事ではアセンションに役立つ可能性のあるスピリチュアルな実践について、私の知見や経験の範囲内で知っている限りの知識をまとめ、シェアすることに致します。
正直なところ、これらがアセンションのためにどの程度役に立つのかは未知数です。
それでも「スピリチュアルに関して今までまるで興味がなかった」という方もいらっしゃるでしょうから、そういう方のために、自分が知っている範囲だけであれ「こういうものがありますよ」とご紹介するのは有用だろうと思い作成しました。
当たり前ですがこれらのすべてを実践すべき、などと主張しているのではありません。
あなたの琴線に触れたもの、インスピレーションが湧いたもの、関心が持てたものを実践してみては如何でしょうか、という趣旨でご紹介するだけです。
スピリチュアルな教えの学習と実践まとめ
菜食(非肉食)
まず菜食(非肉食)が挙げられます。
アンドロメダ人とのコンタクターであるアレックス・コリアーは、「肉食は人間の波動を下げるためにネガティブな宇宙人によって人間に教えられた」としています。
また現代インド最大の覚者とされるラマナ・マハルシは、ほとんどの場合、例えば就業環境など外的な環境に由来する悟りにくさ・悟りやすさについて否定しているにも関わらず、唯一有効性を認めたのが摂取する食事の性質だったといいます。
彼が認めたヒンドゥーの食養生では、食物の性質を3つに分けます。
あくまで簡単な説明ではありますが、下記の通りです。
- サットヴァ(純質):乳製品、野菜、フルーツ、穀物などは心を落ち着かせる助けになる。
- ラジャス(激質):肉、魚、唐辛子、タマネギ、ニンニクなどは活動的な心をもたらす。
- タマス(鈍質):腐りかけの食物、アルコールなどは心を鈍化させ、無関心をもたらす。
このような区分で、肉が代表的ラジャスな食べ物、野菜・フルーツが代表的なサットヴァの食べ物とされているのが分かります。
そして言うまでもなく、スピリチュアル的に、悟りや霊性の向上などを目指すならば「サットヴァ(純質)」な食べ物を中心に食生活を組み立てるのが良いということになります。
注意点として、コンビニなどで惣菜を買うことが多い人は特に、このような食生活に切り替えると驚くほど買えるものが少なくなるということで、菜食に切り替えて初めて「こんなに肉や魚を我々は豊富に食べていたのか」と驚くことになるでしょう。
当然自炊の機会が増えることになると思います。
瞑想(数息観など)
日本人にも馴染みが深いスピリチュアルな修練として、座禅、瞑想などがあります。
本来我が国では臨済宗・曹洞宗などの禅宗に由来する座禅は、身近なものではありました。
しかし近年、これらは欧米から逆輸入されるような形で「瞑想」の流行を生みました。
ただし欧米から逆輸入される形の瞑想は、どちらかといえばインドなどのヒンドゥー教系の修行法に由来するのかもしれませんが、それでも大きな差はないだろうと個人的には考えているので、座禅とまとめてご紹介いたします。
経済的だという点でも初心者には取り組みやすく、書籍・ネットなどで簡単にやり方を学べる他、セミナーなどに比べるとお寺の座禅会の参加は非常に安価だといいます。
また禅宗の伝統的な瞑想法(座禅)には「数息観(すそくかん)」があります。
足を組んで座ったまま、息を吸って吐くという一過程を「ひとーーーつ、ふたーーつ」という風に数え、十まで数えたらまた一から折り返す、というものです。
足の組み方も完全にそれぞれの両足を太ももの上に置いて組む結跏趺坐(けっかふざ)、片足だけを太ももの上に組む半跏趺坐(はんかふざ)がありますが、実践者の足の柔軟性に合わせて好みに応じて選ぶと良いでしょう。
またそれすらできない場合でもあまり形にこだわらず、通常の胡坐(あぐら)で実施しても構わないと思います。
仏典を読む
また仏典を読む、という形でスピリチュアルな修練に近づいてもいいでしょう。
ただ個人的にはあまりお勧めはできません。
というのも仏典は現代人には難解で取っつきにくかったり、特に原始仏典は思想的な外観がペシミスティックで、アセンションに向けて前向きに取り組み始めた人には共感しにくい場合があるからです。
もちろん仏教や仏典に特別な親しみを感じている人にはその限りではないので、実践者の好みに合えばそれでもいいでしょう。
仏典に関して言えば、哲学者の西田幾多郎は「『臨済録』と『歎異抄』さえあれば他の本はいらない」と言うほど高く評価していました。
『臨済録』は禅宗の一門・臨済宗の聖典であり、『歎異抄』は浄土真宗の開祖・親鸞の言行を記録した文書です。
特に浄土宗系目線からの伝統的な区分では、禅宗を難行・自力門・聖道門(しょうどうもん)、浄土宗系を易行・他力門・浄土門と分けており、前者は自己の力を信じて悟りに邁進する方法、後者は御仏の慈悲にすがって救済を求める方法とされています。
大まかに言えば、前者系統の代表的経典が『臨済録』であり、後者系統の代表的経典が『歎異抄』になります。
ホ・オポノポノ
「スピリチュアルな実践といっても何をやればいいか分からない。でもあまり難しいものや抹香臭いものは取っつきにくいから嫌だ」という方には、ホ・オポノポノの実践を強く推奨します。
これはハワイで昔から伝わる問題解決法であるホ・オポノポノを現代人向けに改良したもので、正確には「セルフアイデンティティ・ホ・オポノポノ」というものです。
このセルフアイデンティティ・ホ・オポノポノは、私にとっても、スピリチュアルな実践に興味を持ちだした初期に唯一効果が実感できたものでもあります。(飽きっぽいのでしばらくして辞めましたが)
これが強く推奨できる理由は、その際立った特徴としての経済性と簡易性の2点においてです。
実践方法は非常にシンプルで、浮かんできたネガティブなマインドに対して、
- ありがとう
- ごめんなさい
- 許してください
- 愛しています
心の中でこの4つの言葉を唱えればそれでいいです。
これをホ・オポノポノでは「クリーニング」と呼びます。
さらにこの簡略版として「愛しています」のみでも、また「ありがとう」のみでもいいと説明されます。
細かなことを述べれば、クリーニングツールには青いボトルに入れた水を太陽光に当てた「ブルーソーラーウォーター」やその他のものがあるのですが、基本的には前述の4つの言葉だけで事足ります。
理解していただきたいのは、ホ・オポノポノには極意や奥義のようなものはなく、原則このもっとも基本的なクリーニングツールである4つの言葉さえ唱えれば誰にでもすぐ実践可能だということです。
ホ・オポノポノの代表者であるイハレアカラ・ヒューレンには失言(『神を殺す』という表現を用いて物議をかもした)もありますが、この方法に関しては疑いは持たなくとも良いと思います。
私は後に覚者の教えを学んだ時にも、(たとえばマインドの自己観察などの実践が)このホ・オポノポノとそれの整合性・共通性に驚きました。
その経済的な利点に関しては、あまりに実践方法がシンプルであるため、(もちろん理論・理屈を簡単にであれ理解するに越したことはないでしょうが)極端な話、書籍の購入すら不要で上記に書いたことだけでも既に実践可能だということです。
『奇跡のコース』
『奇跡のコース』(あるいは『奇跡講座』『奇跡の学習コース』とも)は、多くのスピリチュアリティに敏感な人によって高く評価されている書籍・学びです。
ただし難易度はやや高く、理由は原典があまりに長大で取っつきにくいからです。
その長さに関して分かりやすく説明すると、読んだ私自身の実感から言えば、新約聖書・旧約聖書を通して読むのと同じくらいと言っていいと思います。
それでも気になる方は、そうした問題点を意識した『今まででいちばんやさしい「奇跡のコース」』などの書籍もあり解説書もあるので、そちらから取り組んでみてもいいでしょう。
私自身は先述の理由で強くは推奨しないものの、スピリチュアリティに敏感な多くの人は『奇跡のコース』を高く評価しており、後でご紹介するエックハルト・トールも引用することがあるほどなので、霊性向上の結果を得る上での信頼性はかなり高いと考えていいと思います。
その基本的な思想を要約するのは難しいですが、原典を読んで私自身が心に残った点を言えば、「人は他人に与えたものを自分も受け取る」というものです。
実践法としては、『奇跡のコース』の『ワークブック』によって1日ごとに指示されることを365日にわたって目的や意図などはとりあえず度外視して行ってみるということです。
それによって人生の諸問題の解決・スピリチュアルな向上が得られるとしています。
書籍には『奇跡のコース』の基本的な教えが記された本、それを学ぶ生徒のための教えが記された本、教える先生のための本と3部に別れています。
また日本語版の翻訳は『奇跡のコース』と『奇跡講座』の2種あり、原書の出版元が認めているのは後者だということです。
エックハルト・トールの書籍
エックハルト・トールは悩み多き若い時代に、寝床で悶々としているうちに突如として悟りを開いたという興味深い人物です。
彼が推奨する実践方法も易しいのが特徴であり、自分のネガティブなマインドを観察する、呼吸に意識を向ける、音の隙間の「沈黙」に意識を向けるなど誰にでもできる点においても推奨しやすいです。
難点は主著の訳書タイトル(さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる)があまりに安易で非本格志向なイメージを与えること、翻訳時に監修者の方針で割愛された部分(※)がある、という点ですが、それを考慮に入れても十分読むに値する著述家・スピリチュアルな教師であるといえます。
インドの覚者の教えを知る
「どうせ学ぶなら最高峰のスピリチュアルな教えを学びたい」という方には、インドの覚者たちの教え・著作をおススメします。
インド覚者の一つの特徴として、彼ら(の訳書で)は「悟り」という言葉はほぼ使わず、代わりに「真我」もしくは「真我の覚醒」といった表現でスピリチュアルな目標が掲げられています。
具体的には以下の人物です。
- ラマナ・マハルシ
- ニサルガダッタ・マハラジ
- ラメッシ・バルセカール
ラマナ・マハルシは現代インド最大の覚者とされる人物で、ニサルガダッタ・マハラジも同時代人で元はタバコ売りをしていたという珍しい経歴を持ち、その彼の弟子がラメッシ・バルセカールです。
私自身の実感でいえば、著作の難易度もおおむねその順で分けられると思います(前者の方がやや難しく、後者にいくにつれてやや分かりやすい)。
ただその基本的な方法論は微妙に異なり、ラマナ・マハルシは「私は誰か」と問うことで、ニサルガダッタ・マハラジは「私はある」という想念から離れないことで、ラメッシ・バルセカールは神への帰依(バクティ)から入ることで真我に至ることをそれぞれ唱えています。
ポジティブな宇宙人によるチャネリングメッセージ
またポジティブな宇宙人によるチャネリングメッセージは、勉強になるとともに実践的なものも紹介されているので、二重に益があるといえます。
この代表的なものは、私が知る限りでは『ラー文書』と『ハトホルの書』があります。
『ラー文書』は後に、秘密宇宙プロジェクトの内部告発者であるコーリー・グッドの関係者(おそらくデイビッド・ウィルコック)による証言から、ポジティブな宇宙人であるブルーエイビアンズによるものであるということが判明しています。(当ブログ参考記事:ブルー・エイビアンズは『ラー文書』を自分達のメッセージだと認めた)
注意点として、現在2巻まで出版されている『ラー文書』の方は知的な意味では大変興味深いところの多い文書ですが、普通の人には難解だと感じられる可能性があるということです。
したがって、どちらかといえば『ハトホルの書』の方がおススメですが、お好みなので興味があれば挑戦してみても良いでしょう。
注意点
読者が回り道をしないで済むよう、最低限度だけではありますが、一応ネガティブな話題にも踏み込んで注意喚起しておこうと思います。
霊的指導者の選別に関する注意点
読者が特定の人にのめり込んだ挙句、後で悪い評判などに気づき幻滅や後悔などを経験するのは気の毒なので、あえて簡単に私自身が疑わしいかもしれないと思う霊的指導者等についてふれることにします。
ディスることが目的ではないので、本当にざっと触れるだけです(敬称略)。
サイババ、マザー・テレサ、バシャール、竹下雅敏(シャンティ・フーラ寄稿者)、関暁夫(芸人)、中西研二とそのグルであるカルキ・ヴァガバン、三国ますみ。
これらの人はいずれも悪い評判や気がかりな噂があったり、個人的に引っかかるところのある人です。
例えば最後の三国ますみ女史ですが、彼女が何かしらの覚醒体験を経たのは間違いないと思います。
ただ一過性のものなのに永続的なものと錯覚した可能性が高いと思います。
もちろん、これらのすべてはあくまで私の感覚・経験・調査から述べたもので、実際には彼や彼女が素晴らしい人である可能性は十分にあるでしょう。
そして最後には結局、自分自身の嗅覚やインスピレーションを信じるしかないのですが、間違った霊的指導者等に入れこんで回り道をしたくないという人が、後で悪い評判等を知って後悔することになっては気の毒なので、あえてご紹介しました。
高額セミナーへの注意点
また高額のセミナーにも注意してください。
スピリチュアルな事柄に向かうのに多量のお布施や金銭は必要なく、自分の財布の事情に合わせてできる範囲で実施すればいいだけです。
瞑想やホ・オポノポノの実践には1円もかからず、最低限の知識を補強したとしても、せいぜい数千円や一、二万円で事足ります。
悪しき指導者は、単に自己利益を図るためのものを様々な理屈をこねて正当化する可能性がありますが、本当に貴重な霊的体験を経て心の平安を得た霊的指導者は、自己が得た心の平安や衣食住のための最低限のもの以外は必要としていません。
そのようなものを得ることに固執しているならば、彼や彼女は偽物です。
また恫喝などの手段を用いて自分の教義や主張に従わせようとする霊的指導者も同様です。
もしセミナー等の値段が高いと思ったら受けなければ良く、そのようなことで激しく非難してくるような指導者ならばすぐに離れましょう。
というわけで、この記事はこれで終わりになります。